教育関係で、1970年代は大きな節目となっていると言われています。「乱塾時代」と言われるような塾が全国津々浦々に設立されていったばかりか、塾という体質自体が大きく変貌していったと考えられているからです。それは、塾を支える講師陣が従来の教職関係出身者から当時盛んだった大学紛争に嫌気がさしてやめていった大学生が大量に職を求めて塾業界へ流入し、あるいは高度成長期で異業種から塾という新たな教育産業を立ち上がるべく企業を立ち上げていった若者たちがいたという事実です。大学紛争という大きなうねりの中で有り余るエネルギーを「社会への不満」へぶつけていった若者たちです。従来の教員たちにはなかった新たな発想で受験対策を説き、一方で各自の学問や受験、はたまた将来の日本への思いなどを語っていたと言われています。そのようなエネルギーを感じながら指導を受けた生徒は、少なからず影響を受け上級学校へ進学したのち社会へ巣立っていったと考えると、最難関国立大学へ進んだ名門進学校卒業の学生をして「塾は学校より役に立った」と言わしめているのかもしれません。彼らは単に塾で受験テクニックを指導されただけでなく、他のいろいろなことを学んでいたように思えてなりません。それも純粋さゆえのその時期として何にも代えがたいものを得ていたと言っていいかもしれません。それまでの画一的な授業しか受けていなかったとしたら、塾で「目からうろこ」のようなハートに応える講義を受けて、何も感じないわけがないと言えるのかもしれません。きっと貴重な期間を過ごしたと後で考えているのではないでしょうか。受験勉強というと、とかくねじり鉢巻きで、がむしゃらに机に向かっているというネガティブイメージがどうしても付きまとわれてしまいますが、実際は想像できないような活気ある雰囲気が塾には漂っていたのかもしれません。

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